高校3年生から浪人時代のお話

今日は音楽教室へ。

昨日は夫が仕事でしたので私が家にいましたが、今日はバトンタッチ。

やる事が山積み過ぎて、お尻に火がついています。

腱鞘炎で受験自体ができなかった

さて、今回は高校時代~浪人時代のお話です。

高校卒業後、私の実家の家庭環境があまり良い状態では無く、お世話になっていた先生に家を出て東京で治療とリハビリをしてはどうか、と言う提案を頂きました。

私は高校3年の夏に酷い腱鞘炎になり、ヴァイオリンが弾けなくなりました。音楽大学はどこも必ず実技試験があるのですが、受験シーズンまでに快復する見込みがありませんでした。高校も音楽科で何とか卒業はできましたが、受験は絶望的でした。正直進学するか迷ったのですが、小学生の頃からやりたかった音楽の仕事を諦めたくありませんでした。

ただ、やりたい事があるのにスタート地点にすらつけなかった事がとても悔しかったです。高校の同級生はどんどん大学が決まり一喜一憂している中、自分は受験ができない。

そして親(父親)の金銭的応援も望めない。それでも、その時他の周りの方に沢山助けて貰いました。

周りの協力もあって無事アルバイト先と下宿先が決まり、何とか実家を脱出する事ができました。

この世は不平等なものだけど

浪人時代は当然予備校なんて通う金銭的余裕はありませんでした。どこにも属さず孤独の日々。最初の2週間ほどは泣いて暮らしました。なんてこの世は不平等なのだと。

浪人時代に関西から東京に出たため、友達や親せきの大半は関西です。

ただ、頑張っていると周りの方々が沢山助けて下さりました。

アルバイト先の方々は無料で賄いを出して下さりましたし、治療とリハビリを提案して下さった先生をはじめ、高校時代から付き合いがあり上京した友人も、悩み相談や気分転換に付き合ってくれました。遠く離れた地で勉強していた幼馴染は貴重な勉強時間を削って毎日メールをくれていました。母も電話で話を聞いてくれました。下宿先で1階に住んでいたおばあさんは、たまにお寿司を取って一緒に話しながら食事をして下さりました。

とても苦しい時期でしたが、周りのあたたかさに感謝する日々で、色んな人に支えられていたことに気づきました。この時に様々な人が助けてくれた事は決して忘れず、自分なりのお返しをしようと決心しました。

また、自分の一人暮らしのスキルや節約スキルが一番伸ばせました。

図書館に通ってセンター試験の勉強以外の節約術や料理の知識も増やしました。この先持っていても困らないスキルだし、その時使える知識でもあったからです。私の今の土台となる時期でした。

持っていて良かったもの

私はヴァイオリンを弾く事も好きでしたが、絵を描く事や散歩する事、自然を見る事やお風呂に浸かることも好きでした。

しんどい時代に役に立ったのはこれらの趣味、気分転換です。

勉強やアルバイト、リハビリとやる事は沢山ありましたが、何とか気分転換をする時間も確保していました。幸い好きな気分転換はお金がかからないものや日常生活でできる物ばかり。今私は車の免許を持っていないのですが(経済的な事情もありましたが)歩く事が好きだったからでしょうね。当時、隣駅の安いスーパーに買い物に行く事すら気分転換でした。

実家を離れることで経済的不自由は経験しましたが、精神的自由は少し確保できた様に思います。また、自分がやりたい事や大切な物を再確認できた様に思います。

努力は必ず報われる訳ではないけれど、自分を伸ばそうとあがいた経験は何よりの財産。試行錯誤した日々は絶対に今後に繋げられる様に頑張るぞ!と思って日々生活していました。やらない後悔よりやった後悔。色々大変な事もありましたが、心は豊かでした。

それでは、最後までお読み頂きありがとうございました^^

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