妊娠後大変だったこと(身体編②)

皆様こんばんは。

今日は暑かったですね。

何とか副反応の熱が下がり出社しましたが、頭痛が残って途中で痛み止めを飲みながら仕事をしていました。

予定日を過ぎても生まれる気配なし

予定日の3週間前あたりに『おしるし』の様な物があったのですが、その後子宮頚管が短くなる気配が無く、病院の指示で予定日2週間前あたりから1日2時間以上歩く様になりました。

しかし待てど暮らせど全く生まれてくる気配がありません。お腹に向けて毎日話しかけていましたが、胎動が返ってくるのみ。

予定日より10日過ぎてしまい、病院からの指示で妊婦検診に向かいました。(都からの補助券が数回分足りなくなりました。自分でコントロールできることではありませんし、あの回数制限をなくしてほしいです…)検診時、お医者様が『あれ?破水してる?』と言った事がきっかけでそこから入院となりました。私は破水に全く気付いておらず、その原因は高位破水であまり羊水が漏れ出していなかったからでした。血液検査等もしましたが、幸い今日破水したんだろう、と言う判断となり、そこから促進剤を使って出産しようという話になりました。

入院してからが大変だった

私が入院した産婦人科は料理がとてもおいしいところでしたが、最早それを楽しむ余裕が全くありませんでした。

1日目は促進剤を打った後陣痛と張りがずっと続いた上に(痛い時と痛くない時の波が無く、本当にずっと痛い状況でした)子どもの心拍が早くなってしまい、薬が合わないという事で断念しました。促進剤を抜いてからしばらく経つと痛みは治まりましたが、またいつ同じ様な痛みが来るかわからない上、子どもは大丈夫かどうかが心配でした。

2日目から薬を変えて促進剤を打ちましたが生まれる気配が無く、あとから来た妊婦さんたちが次々と出産していました。

薬を変えると子どもの心拍は上がらず無事で、3秒ごとに痛みの波が来ていたのですが、その状況が24時間を超え、とてもではありませんがまともに寝ることも食べる事もできませんでした。痛みの波が引いている時に一口ごはんを放り込み、お手洗いやお風呂もびくびくしながら向かっていました。

この間、コロナ禍だったため面会は禁止だったのですが、私の産院では立ち合いは1人まで可能でしたので、立ち合いの体で母に足りない物を家から持ってきてもらい、少し話をしてもらったりしました。夫や友人も電話に付き合ってくれたりしたため、大変ありがたかったです。

そして3日目に突入し、3回目の促進剤を打ちましたが生まれる気配なし。一体いつまで続くんだと心配と絶望的な気持ちになりました。そこで血液検査の数値は悪くないが、破水してから結構時間が経過しており感染症にかかるリスクが上がるため帝王切開をしましょう、とお医者様からの提案がありました。心の準備ができておらずびっくりしたのですが、子どもの命がかかっているので受けるしかありません。母が駆けつけてくれ、話をしている内に少しずつ落ち着く事ができました。

いつも診察してくださっていた器用なお医者様が麻酔を担当して下さり、助産師さんが手を握って下さった事によりまた少し不安を和らげる事ができました。

そして無事平均的な出血量で息子が取り出されましたが、約48時間陣痛で全く眠れていなかったため、子どもが取り出された後眠くなってしまいウトウトしてしまいました。お医者様や看護師さんに『大丈夫ですか?』と声をかけられ、眠くなってしまって、と返事する羽目になりました。(疲労がピークだったのと、子どもが無事だった安心感で眠くなっただけなんです、、)縫合って思っているより時間がかかるものなんですね。母は先に孫を見て生まれた事に安心していましたが、縫合に時間がかかっていたため娘は大丈夫ですか?と助産師の方に聞いている声が聞こえてきていました。

長くなりますので、産後のお話はまた明日書こうと思います。

それでは、最後までお読み頂きありがとうございました^^

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